Wednesday, May 29, 2013

【参加者募集中】6/11『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン


第4回読書会の課題本は『コレクションズ』ジョナサン・フランゼン



この読書会では「世界の文学」を読むと同時に「現代世界の文学」を読むというテーマ作品を選んでみました。この方向性は、古典化した作品ではなく、私たちの生きる同時代を読み解きたいとの想いによるものです。舞台が現代であれば理解しやすい面もあれば、複雑な現代だからこそ難しい面もあるかと思います。そしてこの二面性にこそ「今」の文学を読む面白さがあるのではないでしょうか。
 第4回読書会で読む『コレクションズ』そんな面白さをまさに実感できる1冊です。舞台は現代アメリカ。テーマは家族。アメリカ中西部出身のランバート一家がそれぞれ抱える人生の幸福と苦悩を著者ジョナサン・フランゼンは鋭い文章で時系列を自由に動きながら丁寧に描き出します。今や年老いた保守的な両親、それぞれ成功をしながらも苦悩する三人の子供。家族同士で求めつつも苛立ちの中に立ち消える関係。一家の抱える問題は「修正」(corrections)されるのか…
 小説の中で描かれる家族の姿は現代アメリカを反映しているだけでなく、私たちにも共感できる身近なテーマでもあるといえます。文学を通して何が見えてくるか、みなさんの様々な感想を寄せ合って探りましょう。



ジョナサン・フランゼン

Jonathan Franzen(1959-)

アメリカイリノイ州に生まれる。1998年に長篇The Twenty-Seventh City(未訳)でデビュー。92年のStrong Motion(未訳)を経て、2001年に発表した第3長篇『コレクションズ』で全米図書賞を受賞。2009年にの第4長篇『フリーダム』は昨年末日本語訳が刊行された また、2010年にはTIME誌の表紙を飾り話題となった。現役の作家としては10年ぶりの快挙であった。これまで表紙になった作家は、サリンジャー、ナボコフ、トニ・モリソン、ジョージ・オーウェル、ジョン・アップダイク、そしてフランゼンの10年前に表紙となったスティーヴン・キングなどの名が並ぶ。現代アメリカを鋭く描く作家として今後の活躍も期待される。


★日程:6月11日
★時間:17:00~
★場所:西南学院大学1号館716教室

未読で、見学のみでも構いません

ご参加お待ちしております。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Friday, May 10, 2013

5月8日(火)に行われた第3回読書会の報告です。
参加者は5名。午後5時より1号館707教室で行いました。
テキストは『山猫』岩波文庫・小林訳と河出文庫・佐藤訳です。イタリア語原文も参照しました



今回は二作品を扱いましたが、先に扱った『山猫』の方が以外なほど盛り上がりました。

この山猫は1960年のイタリア統一から50年後の1910年までのシチリア島を舞台にした作品です。

イタリアの統一戦争シチリアに時には革命軍がシチリア島に上陸するなど新しい時代への推移を背景としながら、名門サリーナ家が時代の波に流れに流されつつも次第に没落がえがかれていますが、時代の変化を悟りつつも憂いを帯びた主人公ドン・ファブリーツィオの姿に「イイナァ~」という意見が出ました。

 ではその「イイナァ~」と感じた理由は何なのかと考えたとき、イタリア統一(1860年)と時期の近い日本幕末の姿と被ったのではないかという話が出ました。それを考えると、没落物語というのは、日本でも「平家物語」や「大鏡」など存在することか、普遍的な共感を呼ぶのではないでしょうか。

 60年代を舞台にした小説ですが、フロイトの名前が出てくるなど、時代にあっていません。それは作者が前面に出てきた結果だと思います。P345「彼ら(赤シャツ隊)が姿を消せば、今度は別の色を着た連中がやってきます」この文章はムッソリーニの「黒シャツ隊」の登場をランぺドゥーサが意識して書いたことを結果的に意味していると思います。

 『山猫』は貴族の没落物語として片付けるのはもったいない豊饒な物語であったという印象です。いくつか挙がった話題の中に「時間の感覚」という主題がありました。レジュメをご覧頂ければわかるように、第6章までは章ごとに数か月単位で時間が進んでいるにも関わらず、あまりその印象を受けない、ゆるやかな時間が流れていると感じた方が多かったです。著者ランぺドューサはプルーストなども愛読していたとのことなので、小説における「時間」の感覚に対して意識的だったのではないか、との感想も出ました。

また、最初のシーンで登場するサリーナ家の犬ベンディコの亡骸が捨てられるシーンで幕を閉じることは『山猫』の時代の終焉のメタファーとも受け取れるという話もあり面白かったです。

また、イタリア語原文を参考とありましたが、この点については、たとえば、最初のシーンでギリシャの神々が登場するため、ある種神話的な導入をしているのかと思いきや、原文では織物に描かれた神々と書いてあるなど、日本語訳では汲み取りきれていない部分などの話題が提供できたと思います









 














































二冊目は『ヴェニスに死す』岩波文庫・実吉訳です。
参加者の中で『魔の山』や『トニオ・クレーガー』を読んだことあるかたがいるので、

年表と照合しつつ、作品を初期中期後期に分けることができました。

『ヴェニスに死す』については、時間配分の問題や、少し難しかったとの意見が多かったためあまり話せませず残念でした。

なので、これは私の意見となりますが、この作品の中におけるコレラの蔓延が当時の世相を反映しているのかどうかという点が気にかかりました。1912年に発表されているので、2年後には第一次世界大戦が控えており当時のヨーロッパの空気感といいますか、時代感覚が反映されてるのではないだろうかという印象を抱きました。

芸術家と市民生活の関係性、あるいは、美少年へ愛情を抱いた老人という観点から語られることの多い『ヴェニスに死す』ですが他の考え方もできないかと思い、レジュメにトーマス・マンの主要作品一覧もつけてみました。

マンの話をまたすることがあれば、そのあたり語ってみましょう。